「肥前風土記」が伝える六世紀ごろの鳥栖地方では、鳥を飼う人がいて鳥を天皇に献上していた。その鳥飼の夫婦のところへ、百済から逃れてきた渡来人一行が上陸し引き止められるのもきかず、土地の暴れ者・熊王を訪ねる。永住の地を求めたい渡来人頭領・海馬はいろいろの貢物をするが熊王は渡来人の一人、織姫のアヤを嫁に欲しいと言い出す。
そして熊王とアヤの結婚式。村人たちの賑やかな宴と、熊王の手下、イサムと、鳥飼の娘トキの恋歌の交換「歌垣」。その宴たけなわの時、激しい雷雨に襲われ不安になった熊王は占い師を招く。
占い師の托宣は熊王が殺した怨霊の祟りを鎮めるために碑を建てトキを生贄として埋めよ、と出た。鳩首協議の末、旧弊に批判的なイサムの発案で犠牲には鳥の朱鷺を埋めることになった。
こうして村人たちは巨石を船の形に見立てた碑を築き、イサムとトキはこの落成祝いの前夜、鳥飼の郷を後に自由の天地を求めて旅立つ。