鳥栖市民劇団公演「菊の道」でも大変お世話になった日田のスーパースター・広瀬淡窓先生の軌跡を追った。
平成18年に公演した演目「菊の道」のワンシーンとして、同じ天領地同士で俳諧の交流を描いた場があった。
私は日田の俳人・長野野紅を演じたがそのセリフにだけ登場した広瀬淡窓先生。日田人なら知らない人はいないであろう偉人である。
江戸時代後期私塾を興し、その規模は日本最大級を誇った。塾生として著名な者としては、大村益次郎や上野彦馬など。
その名声を聞きつけまた全国各地から入塾者が集まったそうな。
卒業年などなく、自分の納得のいくまで学びを続ける事が出来た咸宜園、いわゆるフレックス制。
現存する咸宜園。萩の松下村塾を初見した時のような感動を覚えてしまった。
淡窓先生は鳥栖にもゆかりのある人物であり、
当時田代にあった対馬藩の藩校、現在基山に移った有名進学校・東名館へ講義なさったそうな。
これは咸宜園の一角に建つ淡窓先生のプライベート別荘・遠思楼からの眺め。
ここでは読書や知人達と詩会や月や雪を愛でて小宴を楽しんだりしたそうな。
実際に入れて淡窓先生と同じ風景を見れる事が出来るのは、何事にも代えがたい贅沢な気分である。
意外な接点があった鳥栖と日田。
いつの日か鳥栖と日田の市民劇団でコラボレートした演劇などできたら実に面白いだろう。